「 人物 」 一覧
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オランダ屋敷跡(ウランダーヤシキアト)
日本メソジスト教会の外国人宣教師の屋敷跡。 かつて沖縄では欧米人のことを「ウランダー」(オランダ人)と呼んだことから、その名が付いた。 沖縄におけるメソジスト教会の本格的な布教は、1892年(明治2 …
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曝書山房跡(バクショサンボウアト)
沖縄学の父とされる伊波普猷の別荘跡。 城岳の西の麓にあり、かつては、濃い樹影に囲まれた静閑な別天地であった。 城岳を背にし、地域のウブガー(産井)を含む2,500坪の伊波家の畑地は、幼少の頃、昆虫や …
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与那原良矩生家跡(ヨナバルリョウクセイカアト)
琉球王国時代の三司官与那原良矩の生家跡。 与那原家は、馬良詮大浦添親方タ良憲を始祖とする馬氏小禄殿内の分家で、大里間切(現南城市大里)を領有する総地頭家。与那原良矩のほか、王国時代末期の三司官与那原 …
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亀川盛武生家跡(カメガワセイブセイカアト)
琉球処分期の三司官で、処分反対の指導者であった亀川盛武の生家跡。 亀川家は、毛氏豊見城殿内の分家で、与那城間切の総地頭家である。 1871年に維新慶賀使が上京。尚泰を琉球藩王とする旨の命を受けて帰国 …
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蔡温旧宅跡(サイオンキュウタクアト)
琉球王国時代の政治家蔡温の住居跡。 蔡温は1682年久米村(現那覇市久米)で生まれ。沖縄名は具志頭親方文若といい、蔡温は唐名(中国名)、「澹園」と号した。蔡温の祖は、1392年琉球に渡ってきた久米三 …
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宜湾朝保生家跡(ギワンチョウホセイカアト)
琉球処分直前の三司官で、和歌人としても著名な宜湾朝保の生家跡。 宜湾は、1823年に首里で生まれた。生家の宜湾家は向氏小禄御殿の分家で、宜野湾間切の総地頭家でもあり、三司官を二人も出した名家である。 …
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程順則生家跡(テイジュンソクセイカアト)
琉球王国を代表する文人程順則の生家跡。 程順則は、1663年久米村(現那覇市久米)生まれ。程順則は中国名で、字は寵文。父は程泰祚といい、首里士家の虞氏外間筑登之實房の次男であったが、中国語の才能を買 …
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伊波普猷生家跡地(イハフユウセイカアトチ)
沖縄学の父として知られる伊波普猷の生家跡地。 伊波は、琉球処分を目前にした1876年に、那覇の西村で生まれた。生家は那覇士族魚氏の家系で、素封家として知られていた。 沖縄県立第一中学校在学中の189 …