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亀川盛武生家跡(カメガワセイブセイカアト)

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琉球処分期の三司官で、処分反対の指導者であった亀川盛武の生家跡。

 亀川家は、毛氏豊見城殿内の分家で、与那城間切の総地頭家である。
 1871年に維新慶賀使が上京。尚泰を琉球藩王とする旨の命を受けて帰国したが、それが琉球処分への布石となったことから、亀川らは慶賀使の伊江王子朝直、宜湾親方朝保らを激しく糾弾、三司官の宜湾を辞職に追い込んだ。
 1875年に、明治政府の処分官松田道之が来島。処分へ向けた諸策が次々に打ち出される中、亀川は反日派(頑固党)のリーダーとして、士族層の抵抗運動を指導した。処分の後も脱清(脱琉渡清)派を支援して、県政に対する旧士族層の非協力を画策するなど、抵抗の姿勢を崩さなかった。
 琉球王国の崩壊という抗しがたい現実に、それでもなお抵抗せんとした亀川は、時代を象徴する人物の一人だったといえる。

以上、現地の説明版より

所在地:那覇市首里儀保町3-25

個人観光ガイド 1時間1,500円より
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※当社は宮古島に所在していますが、沖縄本島でも活動している方をご紹介可能です。

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