「 旧真和志 」 一覧

金城橋と識名平(カナグスクバシとシチナンダ)

金城橋は、琉球王国時代、首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋である。  橋の創建年は不明。1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文」建立)が、1809年の洪水により損壊。翌年元 …

みなと村役場跡(ミナトソンヤクバアト)

沖縄戦の後、特別に設置された行政区みなと村の役場跡。  1945年(昭和20)の沖縄戦の後、米軍専用となった那覇港における米軍需物資や民間の食料品等の荷役作業は、当初日本軍捕虜によって行われたが、捕虜 …

熊本鎮台分営所跡(クマモトチンダイブンエイショアト)

日本陸軍熊本鎮台分遣隊の駐屯地跡。  明治維新を成し遂げた新政府は、領土確定を図るため、日清両属体制をとる琉球国の処遇問題に着手し、1872年(明治5)琉球国を「琉球藩」として扱った。さらに、1875 …

赤畑(アカバタキー)

かつて漫湖(まんこ)に突き出ていた小丘の名称。  この付近は赤畑原といい、真和志村字壺川(現那覇市壺川)の小字地名であった。 丘の上には松が生えており、奥武山・ガーナー森とともに漫湖の景観に趣を与えて …

軽便鉄道線路跡(ケイベンテツドウセンロアト)

かつて、この地を走っていた軽便鉄道与那原線の線路跡。  軽便鉄道は、正式には、沖縄県営鉄道、または沖縄県鉄道というが、人々からは「ケービン」の愛称で親しまれた。 軽便鉄道は、鉄道の建設費や維持費を抑制 …

旧一日橋跡(キュウイチニチバシアト)

国場川に架けられた橋跡。  琉球王国時代は、この一帯の川は板敷川と呼ばれていたため、橋も板敷橋と呼ばれた。 橋は、南風原間切(現南風原町)や東風平間切(現八重瀬町)と首里を結ぶ重要な橋で、古くから木橋 …

識名園周辺の史跡・旧跡

識名園の位置する那覇市真地地区は、首里台地に対峙する識名台地の東寄りに位置し、かつては真和志切識名村の一部であった。  識名村の村域は、琉球王国時代、識名台地のほぼ全域を占めていたが、1700年代以降 …

真和志間切番所跡(マワシマギリバンジョアト)

琉球王国時代から1907年(明治40)にかけての行政単位である真和志間切の行政を管轄した番所(役所)跡。  南風原・西原間切とともに首里王府の直轄領であった真和志間切は、当初那覇なども含む広大な間切で …

山之口貘詩碑

1975年7月、貘の十三回忌に合わせ、山之口貘詩碑建立期成会(代表宮里栄輝)により建てられた詩碑。  碑文には、1935年に発表された「座蒲団」が刻まれている。 山之口貘は、本名を山口重三郎といい、父 …

沖縄県立農事試験場跡(オキナワケンリツノウジシケンジョウアト)

沖縄県の気候に適した作物の栽培・試験・研究等を行った農事施設跡。  農事試験場は、1881年(明治14)5月に、真和志間切古波蔵村内(現那覇市泉崎、沖縄県庁付近)の約7,900坪余の敷地に設置された。 …

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