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米国民政府跡(ベイコクミンセイフアト)

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沖縄統治のための米国政府の出先機関であった「米国民政府」の庁舎跡。

 正式名称は、琉球列島米国民政府(United States Civil Administration Of The Ryukyu Islands)で、英語の頭文字をとって、ユースカー(USCAR)、または民政府などと呼ばれた。
 1945年(昭和20)3月26日、米軍の慶良間諸島上陸、4月1日の沖縄本島上陸により始まった沖縄戦では、米軍は軍政施行を宣言(ニミッツ布告)し、本島上陸後、読谷村字比謝に軍政府を設立した。軍政府は、戦闘期間中、避難民の収容、食料配布、収容所の管理・運営などを行った。
 沖縄戦終結後、米軍政府は、具志川村栄野比(現うるま市栄野比)に置かれ、1946年(昭和21)10月、玉城村親慶原(現南城市玉城親慶原)へ移転した。1946年4月24日に石川市東恩納(現うるま市東恩納)で発足した沖縄民政府も、軍政府移転に伴い、近接する佐敷村新里(現南城市佐敷新里)へ移転した。
 1949年(昭和24)7月25日、沖縄民政府は、戦災を免れた旧上山国民学校(元那覇尋常小学校)に移転したが、すぐに隣接する旧天妃国民学校に移った。12月には米軍政府が旧上山国民学校に移転し、軍政府長官シーツ少将は、那覇市を沖縄の首都とすると発表した。
 1950年(昭和25)12月15日、軍政府が廃止され、替わって民政府が設立された。軍政から民政への移行は、沖縄住民の協力を得て、沖縄の長期的統治を可能にするための処置といわれる。以後、この一帯は、1953年(昭和28)に竣工した琉球政府ビル(現沖縄県庁所在地)に、米国民政府、琉球政府(1952年4月1日発足)が移転するまで、沖縄行政の中心地となっていた。
 なお、米国民政府移転後、跡地に上山中学校が開校し、現在に至っている。

以上、現地の説明版より

所在地:那覇市久米1-3-1 上山中学校

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