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東恩納寛惇生家跡(ヒガオンナカンジュンセイカアト)
沖縄研究者東恩納寛惇の生家跡。 東恩納寛惇は1881年、当時の那覇東村に生まれた。東恩納家は那覇士族の愼氏である。 東恩納は、沖縄尋常中学校を経て、熊本の第五高等学校(現在の熊本大学)、ついで東京帝 …
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仲毛芝居跡(ナカモーシバイアト)
沖縄で最初の常設芝居小屋跡。 仲毛演芸場ともいう。 「仲毛」とは、この一帯に広がっていた久茂地川の中州のこと。1884年(明治17)頃、第百五十二国立銀行副頭取の松田通信氏によって埋め立てられ、埋立 …
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米国民政府跡(ベイコクミンセイフアト)
沖縄統治のための米国政府の出先機関であった「米国民政府」の庁舎跡。 正式名称は、琉球列島米国民政府(United States Civil Administration Of The Ryukyu …
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金城橋と識名平(カナグスクバシとシチナンダ)
金城橋は、琉球王国時代、首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋である。 橋の創建年は不明。1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文」建立)が、1809年の洪水により損壊。翌年元 …
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那覇港および周辺の旧跡
那覇の港は、14 ~ 15世紀以来、琉球王国の表玄関として繁栄してきた古い歴史をもっている。 大交易時代には、中国をはじめ東南アジア・朝鮮・日本と貿易を展開し、東アジアの一大交易港となっていた。その …
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ガジャンビラ
那覇垣花から小禄安次嶺にいたる坂道の名称。 付近―帯を指す地名にもなっている。 琉球王国時代、中国からの使節「冊封使」は、この地を指して「儀間山」・「筆架山」と記しているが、1877年刊行の『沖縄志 …
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沖縄地方気象台跡(オキナワチホウキショウダイアト)
1927年(昭和2)に建てられた気象台跡。 沖縄の気象観測は、1890年(明治23)に那覇の松尾山(現那覇市松山公園付近)に、沖縄県立那覇二等測候所が設置されたことに始まる。同年7月1日より1日6回 …
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落平(ウティンダ)
この地にあった樋川跡。 樋川とは、丘陵の岩間から流れ落ちる湧水を、樋を設けて取水する井泉のこと。 落平は、那覇港湾内の奥武山に向かい合う垣花村にあり、崖の中腹からの湧水は、小滝のように崖下の漫湖の水 …
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みなと村役場跡(ミナトソンヤクバアト)
沖縄戦の後、特別に設置された行政区みなと村の役場跡。 1945年(昭和20)の沖縄戦の後、米軍専用となった那覇港における米軍需物資や民間の食料品等の荷役作業は、当初日本軍捕虜によって行われたが、捕虜 …
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天使館跡(テンシカンアト)
琉球王国時代、中国が派遣した冊封使(天使)のための施設・宿舎。 一般に館屋(クヮンヤ)と称した。創建年代は不明だが、その存在は16世紀前半には確認される。冊封使の渡来は、三山時代から1866年まで都 …