個人観光ガイド

内兼久山跡(ウチガネクヤマアト)

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この地にあった小丘跡。

 寄上森ともいう。
 内兼久山は、松尾山(現松山公園一帯)から南西に続く丘陵の一部で、久米村の風水に係る丘であった。名称の由来は、砂地を表す「カニク」に通じ、「内浜の山」といわれる。
 『沖縄志』(伊地知貞馨著 1877年刊)では、孔子廟の後方から南北に延びる内兼久山が描かれる。山の西側斜面に沿って久茂地川の支流が流れ込み、大正初期頃までは、小舟が航行していたという。この川の河口辺りは「港小」という地名が残り、浮島であった「那覇」に久米村が形成された頃、この地が港であったといわれる。
 山の中央付近には内金宮嶽、東側には、アーチ型の石門がある内金宮の2つの拝所があった。内金宮は、万暦年間(1573~ 1619年)、日本から渡来した重温が、弁財天を祀るため、宮を建てたという。1687年に宮殿の改修が行われ、弁財天女像が祀られた。また、1708年には、内金宮建立の由来が記された「寄上森内金宮碑文」が建立された。
 1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)以降は、山の南側に、那覇キリスト教会や沖縄県の官舎が建てられた。昭和期に入り、西麓に日本勧業銀行のテニスコートが造られたが、1940年(昭和15)、テニスコートを含む約1,020坪の敷地に、沖縄県立沖縄図書館が新築移転した。
 現在の内兼久山一帯は、1953年(昭和28)から始まった区画整理事業により、山は削られ、公園ができ、住宅が立ち並んでいる。

以上、現地の説明版より

所在地:那覇市久米2-15

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