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具志火立所跡(グシフィータティジョアト)

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船舶の帰航・来航を伝える烽火台跡。

 小高い丘にあったことから俗に「火立毛」とも呼ばれた。
 琉球王国時代、中国からの進貢船の帰航、冊封船や異国船の来航をいち早く首里王府(首里城)へ伝えるため、1644年「烽火の制」が定められ、沖縄本島をはじめ、慶良間・久米島など周辺離島、宮古・八重山諸島の各島に烽火をあげる「火立竃」・「遠見番所」が設置された。火立所では付近の百姓が三交替で見張りを務め、貢船・冠船が見えると、一隻であれば一本、二隻であれば二本、異国船の来航であれば三本というように烽火をあげる規定となっていた。
 具志村の火立所は、村の北西、白城原の小高い丘にあり、1690年までには整備された。慶良間諸島の烽火を受けると、同様に烽火をあげ、首里へ知らせるとともに、早馬を出して、那覇の親見世(那覇の行政を司る役所)に報告した。
 1879年(明治12)の沖縄県設置により、具志村の火立所は廃され、周辺は畑地になったが、大正期まで「火立竃」の遺構や備蓄の薪が残されていたという。
 沖縄戦の後、周辺は米軍基地として接収され、1972年(昭和47)の日本復帰にともない航空自衛隊に継続使用されたが、1976年(昭和51)に一部区域が返還された。返還後一帯は区画整理により敷き直され、街区として整備された。

以上、現地の説明版より

所在地:那覇市具志1-17-31

個人観光ガイド 1時間1,500円より
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※当社は宮古島に所在していますが、沖縄本島でも活動している方をご紹介可能です。

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