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羽地朝秀生家跡(ハネジチョウシュウセイカアト)

琉球王国時代の政治家羽地朝秀の生家跡。  羽地家は第二尚氏王統第三代尚真王の第一子尚維衡浦添王子朝満を始祖とする小禄御殿家の分家で、羽地間切(現名護市羽地)を領有した名家である。 羽地朝秀は羽地按司家 …

松崎馬場跡(マツザキババアト)

首里城から浦添方面に至る街道の一部及び広場の名称。  龍潭に突き出した一帯は松が植えられ、そこから松崎と名付けられた。1801年この地(現沖縄県立芸術大学敷地)に「国学」(琉球王国の最高学府)が置かれ …

首里市跡(シュリマチアト)

琉球王国時代から明治期にかけての首里の市場跡。  別に大市という。この一帯は首里地域最大の市場で、地名も市場の側のため「町端」という。肉・魚・野菜などの生鮮品や古着、壷などの日常品のほか、近郊地域から …

佐藤惣之助詩碑(サトウソウノスケシヒ)

川崎市出身の詩人・作曲家、佐藤惣之助の詩碑。  惣之助は、1922年6月に沖縄・台湾を旅し、同年12月に『琉球諸島風物詩集』を上梓した。琉歌や琉球の言葉を取り入れた詩と紀行文が収めた詩集は、琉球の風物 …

金城村学校所跡(カナグスクムラガッコウジョアト)

琉球王国時代の首里金城村の学校所及び役所跡。  村学校所は士族子弟の教育機関で、首里・那覇などの各村に建てられた。士族の子弟は7 ~ 8歳で入学し、元服する14~15歳まで、「三字経」の読み書きから、 …

宝口(タカラグチ)

那覇市首里儀保町4丁目一帯を指す地名。  地名の由来は不明だが、遺骨を宝物に例える説や、真嘉比川を遡って荷物(宝)を積み卸す津口と例える説がある。一帯には1682年に壼屋村(現那覇市壼屋)に統合された …

紙漉所跡(カミスキジョアト)

琉球王国時代から昭和初期にかけての紙漉所跡。  宝口の紙漉所ともいう。 琉球における紙漉の技術は、大見武憑武が1686年に鹿児島へ赴き、造紙法を修行。帰国後の1695年に首里金城村に宅地を賜り、杉原紙 …

与那原良矩生家跡(ヨナバルリョウクセイカアト)

琉球王国時代の三司官与那原良矩の生家跡。  与那原家は、馬良詮大浦添親方タ良憲を始祖とする馬氏小禄殿内の分家で、大里間切(現南城市大里)を領有する総地頭家。与那原良矩のほか、王国時代末期の三司官与那原 …

亀川盛武生家跡(カメガワセイブセイカアト)

琉球処分期の三司官で、処分反対の指導者であった亀川盛武の生家跡。  亀川家は、毛氏豊見城殿内の分家で、与那城間切の総地頭家である。 1871年に維新慶賀使が上京。尚泰を琉球藩王とする旨の命を受けて帰国 …

聞得大君御殿跡(チフィジンウドゥンアト)

琉球王国時代の最高女神官「聞得大君加那志」の神殿及び住居跡。  尚真王代(1477~1526年)、琉球王国の神女組織が整備され、最高位の聞得大君は国王を守護する「姉妹神」(オナリ神)として、国王の長寿 …

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