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内兼久山跡(ウチガネクヤマアト)

この地にあった小丘跡。  寄上森ともいう。 内兼久山は、松尾山(現松山公園一帯)から南西に続く丘陵の一部で、久米村の風水に係る丘であった。名称の由来は、砂地を表す「カニク」に通じ、「内浜の山」といわれ …

円山号跡(マルヤマゴウアト)

沖縄一のメインストリート「大門前通り」に面して建てられた百貨店跡。  店主は兵庫県出身の尾花仲次氏。尾花氏は1879年(明治12)生まれ。1912年(大正元)8月に来沖し、露天商人から始め、後に化粧品 …

熊本鎮台分営所跡(クマモトチンダイブンエイショアト)

日本陸軍熊本鎮台分遣隊の駐屯地跡。  明治維新を成し遂げた新政府は、領土確定を図るため、日清両属体制をとる琉球国の処遇問題に着手し、1872年(明治5)琉球国を「琉球藩」として扱った。さらに、1875 …

赤畑(アカバタキー)

かつて漫湖(まんこ)に突き出ていた小丘の名称。  この付近は赤畑原といい、真和志村字壺川(現那覇市壺川)の小字地名であった。 丘の上には松が生えており、奥武山・ガーナー森とともに漫湖の景観に趣を与えて …

当間学校跡(トウマガッコウアト)

この地に建てられた学校跡。  正式名称は、小禄尋常高等小学校。 小禄間切(旧小禄村、現那覇市小禄地域)の小学校は、1880年(明治13)3月、小禄間切番所内(現那覇市字小禄)に置かれたのに始まる。18 …

具志火立所跡(グシフィータティジョアト)

船舶の帰航・来航を伝える烽火台跡。  小高い丘にあったことから俗に「火立毛」とも呼ばれた。 琉球王国時代、中国からの進貢船の帰航、冊封船や異国船の来航をいち早く首里王府(首里城)へ伝えるため、1644 …

カテーラムイ(寿山)旧海軍壕

海軍航空隊巌部隊の本部陣地壕。  日本軍は、この地を寿山と称した。 小禄飛行場防衛のため、小禄・豊見城一帯では、海軍少将大田実司令官の指揮下に連合陸戦部隊が編成され、多くの陣地壕が掘られた。その一つが …

小禄ノロ殿内(ウルクヌンドゥンチ)

琉球王国時代、首里王府より任命された小禄間切小禄村のノロの屋敷跡。  ノロは正式には「のろくもい」と記されるが、通常「ノロ」または「ヌール」と呼ばれ、管轄する1 ~3の村落のウマチー(稲や麦の祭)など …

小禄間切番所跡(オロクマギリバンジョアト)

琉球王国時代から、1907年(明治40)にかけての行政単位である小禄間切の行政を管轄した番所(役所)跡。  1673年、真和志間切の小禄・金城・儀間村、豊見城間切の大嶺・当間・安次嶺・赤嶺・宇栄原・高 …

軽便鉄道線路跡(ケイベンテツドウセンロアト)

かつて、この地を走っていた軽便鉄道与那原線の線路跡。  軽便鉄道は、正式には、沖縄県営鉄道、または沖縄県鉄道というが、人々からは「ケービン」の愛称で親しまれた。 軽便鉄道は、鉄道の建設費や維持費を抑制 …

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