「 個人観光ガイド 」 一覧
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美術村跡(ビジュツムラアト)
沖縄戦の後、画家達が多く居住した地区跡。 首里儀保町のニシムイに造られたため、「ニシムイ美術村」、単に「美術村」ともいう。 「ニシムイ」は、首里赤平町の「虎頭山」から続く丘陵の一部で、特に儀保大道( …
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安里村射的場跡(アサトムラシャテキジョウアト)
陸軍熊本鎮台沖縄分遣隊の射撃訓練場跡。 1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)を行うにあたり、沖縄に派遣された熊本鎮台沖縄分遣隊は、1890年(明治23)2月、安里村(現大道・松川一帯)の畑 …
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茶湯崎橋跡(チャナザチバシアト)
茶湯崎橋は、旧茶湯崎村(現那覇市松川)を流れる真嘉比川に架けられ、王国時代から昭和期にかけて首里・那覇を結ぶ重要な橋であった。 橋の創建年は不明だが、1674年に木橋から石橋に架け替えられている。 …
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官松嶺記・官松嶺跡(カンショウレイアト)
「官松嶺記」は、琉球王国時代の1497年(弘治10)に建立された石碑である。 石碑が建立された丘は俗に「下ナチジナームイ」と呼ばれ、万歳嶺(俗称「上ナチジナームイ」、現観音堂)の西方に続く均整のとれ …
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大道松原跡(ウフドーマツバラアト)
大道松原は、琉球王国時代、現在の首里観音堂付近から大道地域にかけて続いていた見事な松並木の呼称で、旅立ちの謡として知られる「上り口説」にも登場する景勝の地であった。 大道地域には「大道毛」と呼ばれる …
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城嶽(グスクダケ)
那覇市楚辺にある小丘陵。 「城岳」とも表記する。楚辺台地から北西に延びる丘陵の一部で、南側を除き、急斜面となっている。標高は約32m。 かつて、この一帯は、真和志間切古波蔵村の管内で、城嶽には、古波蔵 …
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曝書山房跡(バクショサンボウアト)
沖縄学の父とされる伊波普猷の別荘跡。 城岳の西の麓にあり、かつては、濃い樹影に囲まれた静閑な別天地であった。 城岳を背にし、地域のウブガー(産井)を含む2,500坪の伊波家の畑地は、幼少の頃、昆虫や …
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武徳殿跡(ブトクデンアト)
大日本武徳会沖縄支部によって建てられた武道場跡。 大日本武徳会は、武道を奨励し、武徳の涵養を目的に、1895年(明治28)4月、京都で設立された。各府県に支部を置き、警察組織を通じて、武道の普及と振 …
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湧田地蔵堂跡(ワクタジゾウドウアト)
地蔵菩薩を安置したお堂跡。 地蔵菩薩は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道の輪廻に苦しむ人々を救う仏とされ、日本では平安時代以降、六道の巷を住処とする地蔵と、境を守る道祖神が習合し、道々の境界 …
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仲島小堀跡(ナカシマグムイアト)
この地にあった人工の溜め池跡。 かつてこの一帯は、久茂地川が漫湖に合流する河口で、土砂が堆積した中州は「仲島」と呼ばれ、その後の埋立により陸続きとなった地域である。 河口の水が湾入していた所は、17 …