個人観光ガイド

城嶽(グスクダケ)

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那覇市楚辺にある小丘陵。

「城岳」とも表記する。楚辺台地から北西に延びる丘陵の一部で、南側を除き、急斜面となっている。標高は約32m。
 かつて、この一帯は、真和志間切古波蔵村の管内で、城嶽には、古波蔵村の拝所があり、3月・6月・9月の祭祀のほか、旱魃時には雨乞いの祈願が行われた。また、松や樹木が生い茂る景勝の地として知られた。1756年に中国から来琉した冊封副使周煌が著した『琉球国志略』の「球陽八景図」に、「城嶽霊泉」と題する絵があり、城嶽と東側にある「旺泉」(現:汪樋川)が描かれている。
 丘の中腹には、取り囲むように多くの墓が造られていたが、西側の麓一帯は、「沖縄学の父」といわれる伊波普猷の畑地約2,500坪余があり、1914年(大正3)に、12坪程の瓦葺き平屋の別荘「曝書山房」を建て、晴耕雨読の日々を送ったという。
 大正期には、城嶽周辺に、沖縄県立第二中学校(現那覇高校)、沖縄県庁、沖縄刑務所等が相次いで移設され、住宅が建ち並ぶようになり、かつての城嶽の鬱蒼とした林は、昭和初期には、宅地や畑地になっていたという。大正末から昭和初期にかけて発掘調査が行われ、中国の燕国(BC409 ~ 36年)の貨幣であった「明刀銭」や、沖縄では産出しない「黒曜石」が出土した。
 1945年(昭和20)の沖縄戦中は、山部隊の那覇守備隊陣地壕として使われ、5月には城嶽周辺で激しい戦闘も繰り広げられた。
 終戦後、城嶽の山頂部は削り取られ、1951年(昭和26)9月、約2,000坪余の敷地に、沖縄文化興業株式会社が遊園地「新世界」を開園した。回転飛行塔・メリーゴーランド・電気豆汽車や小動物園、映画演芸場、食堂・売店なども置かれた本格的な遊園地で、那覇の一大名所として賑わったという。1961年(昭和36)に、経営難のため、敷地は那覇市に売却され、閉園となった。
 那覇市では、1971年(昭和46)から、「城岳公園」として整備を行い、平成に入ってからは、周辺の墓の移転作業も進み、丘の麓は、園路整備も行われた。
 なお、公園内には、1962年(昭和37)に再興された城嶽御宮や、1990年(平成2)に奥武山公園(護国神社裏山)から移設された「二中健児の塔」が建っている。また、公園の麓には古波蔵村の「火の神」や地域の村ガー(共同井戸)が残されている。

以上、現地の説明版より

所在地:那覇市楚辺1-4 城岳公園内

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