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薩摩藩在番奉行所跡(サツマハンザイバンブギョウショ)
薩摩藩役人の琉球における役所跡。 在番仮屋、大仮屋ともいう。 1609年の島津侵攻の後、薩摩藩が出先機関として1628年に設置した。以来1872年までの250年間、琉球支配の拠点となっていた。在番奉 …
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新天地劇場跡(シンテンチゲキジョウアト)
那覇市上之蔵町の石門に建てられた劇場跡。 1922年(大正11)建立で、最初の劇場主は、奄美出身で眼科医の向井文忠氏。 那覇劇場は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの二階建てで「石屋」とも呼ば …
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寒水川芝居跡(スンガーシバイアト)
首里寒水川村(現首里寒川町)に建てられた芝居小屋跡。 首里演芸場ともいう。 1879年(明治12)の沖縄県設置後、1892年(明治25)頃、職を失った首里士族達によって設けられた。敷地の広さや構造な …
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那覇劇場跡(ナハゲキジョウアト)
旧真和志村字樋川神里原(現那覇市壺屋)に建立された芝居専門の演芸場跡。 1945年(昭和20)の沖縄戦により、沖縄の住民は各地区の収容所生活を余儀なくされた。このような中、住民を代表する「沖縄諮詢会 …
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親見世跡(オヤミセアト)
琉球王国時代の那覇の役所跡。 15世紀半ばの朝鮮国の書物『海東諸国紀』の中に「琉球国図」が記されており、その中の「国庫」は親見世を指すとされ、創設はそれ以前と考えられている。 もとは、首里王府が海外 …
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先原崎灯台跡(サチバルザチトウダイアト)
中城湾津堅島の灯台とともに、沖縄で最初に建てられた灯台跡。 1896年(明治29)に陸軍省臨時台湾燈標建設部により、島尻郡小禄間切安次嶺村の地先、崎原の突端岩礁(通称崎原グスク)の上に、高さ12mで …
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程順則生家跡(テイジュンソクセイカアト)
琉球王国を代表する文人程順則の生家跡。 程順則は、1663年久米村(現那覇市久米)生まれ。程順則は中国名で、字は寵文。父は程泰祚といい、首里士家の虞氏外間筑登之實房の次男であったが、中国語の才能を買 …
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伊波普猷生家跡地(イハフユウセイカアトチ)
沖縄学の父として知られる伊波普猷の生家跡地。 伊波は、琉球処分を目前にした1876年に、那覇の西村で生まれた。生家は那覇士族魚氏の家系で、素封家として知られていた。 沖縄県立第一中学校在学中の189 …
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慶良間チージ(シュガーローフ)
沖縄戦の激戦地。 字安里の北に位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍は“すりばち丘”、米軍は“シュガーローフ”と呼んだ。一帯の丘陵地は、日本軍の首里防衛の西の要衝で、米軍の第6海兵師団 …