「 民俗 」 一覧
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那覇港および周辺の旧跡
那覇の港は、14 ~ 15世紀以来、琉球王国の表玄関として繁栄してきた古い歴史をもっている。 大交易時代には、中国をはじめ東南アジア・朝鮮・日本と貿易を展開し、東アジアの一大交易港となっていた。その …
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落平(ウティンダ)
この地にあった樋川跡。 樋川とは、丘陵の岩間から流れ落ちる湧水を、樋を設けて取水する井泉のこと。 落平は、那覇港湾内の奥武山に向かい合う垣花村にあり、崖の中腹からの湧水は、小滝のように崖下の漫湖の水 …
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小禄ノロ殿内(ウルクヌンドゥンチ)
琉球王国時代、首里王府より任命された小禄間切小禄村のノロの屋敷跡。 ノロは正式には「のろくもい」と記されるが、通常「ノロ」または「ヌール」と呼ばれ、管轄する1 ~3の村落のウマチー(稲や麦の祭)など …
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軽便鉄道線路跡(ケイベンテツドウセンロアト)
かつて、この地を走っていた軽便鉄道与那原線の線路跡。 軽便鉄道は、正式には、沖縄県営鉄道、または沖縄県鉄道というが、人々からは「ケービン」の愛称で親しまれた。 軽便鉄道は、鉄道の建設費や維持費を抑制 …
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識名園周辺の史跡・旧跡
識名園の位置する那覇市真地地区は、首里台地に対峙する識名台地の東寄りに位置し、かつては真和志切識名村の一部であった。 識名村の村域は、琉球王国時代、識名台地のほぼ全域を占めていたが、1700年代以降 …
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安里橋跡(アサトバシアト)
安里川に架けられた橋跡。 崇元寺が近くにあるため、崇元寺橋ともいう。当初の架橋年は不明だが、安里の対岸に浮かぶ「浮島」だった那覇と安里(崇元寺前)を結ぶ「長虹堤」の起点となっていることから、1451 …
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城嶽(グスクダケ)
那覇市楚辺にある小丘陵。 「城岳」とも表記する。楚辺台地から北西に延びる丘陵の一部で、南側を除き、急斜面となっている。標高は約32m。 かつて、この一帯は、真和志間切古波蔵村の管内で、城嶽には、古波蔵 …
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儀保殿内跡(ジーブドゥンチアト)
琉球王国時代の高級女神官の一人「儀保大阿母志良礼」の神殿及び住居跡。 尚真王代(1477 ~ 1526年)、琉球王国の神女組織が整備され、最高女神官「聞得大君」の下に首里・真壁・儀保の3人の「大阿母 …
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天王寺跡(テンノウジアト)
琉球王国時代の臨済宗の寺院跡。 第二尚氏王統の始祖尚円が成化年間(1465~1487)に創建したといわれ、尚円が王位に就く前の邸宅で、第三代国王尚真の生誕地とされる。後に国王は円覚寺、王妃は天王寺、 …
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首里殿内跡(シュンドゥンチアト)
琉球王国時代の高級女神官の一人「首里大阿母志良礼」の神殿及び住居跡。 尚真王代(1477~1526年)に琉球王国の神女組織が整備され、最高女神官「聞得大君」の下に首里・真壁・儀保の3人の「大阿母志良 …