「 旧真和志 」 一覧

真嘉比村(マカビムラ)

琉球王国時代、現在の真嘉比・古島地域は、真和志間切真嘉比村と呼ばれ、小字真嘉比原バル(現真嘉比自治会館周辺一帯)に集落が形成されていました。  1879年の琉球処分(沖縄県設置)の後、真和志間切真嘉比 …

ナナユヒービラ

安謝から天久に至る坂の名称。  名前は、近接する「七与平利田」と称する田んぼに由来する。 かつて、広い田畑を有する者が天久村に居り、身売りした7人の主人として、彼らにその田畑を耕作させていた。ある時、 …

オランダ屋敷跡(ウランダーヤシキアト)

日本メソジスト教会の外国人宣教師の屋敷跡。  かつて沖縄では欧米人のことを「ウランダー」(オランダ人)と呼んだことから、その名が付いた。 沖縄におけるメソジスト教会の本格的な布教は、1892年(明治2 …

開南(カイナン)

この地域一帯の通称地名。  地名の由来は付近に建てられた学校名による。 かつて、この一帯は真和志間切与儀村の村外れで、墓が点在する場所であった。 大正期、付近に沖縄県立第二中学校(現那覇高等学校)、沖 …

安里村射的場跡(アサトムラシャテキジョウアト)

陸軍熊本鎮台沖縄分遣隊の射撃訓練場跡。  1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)を行うにあたり、沖縄に派遣された熊本鎮台沖縄分遣隊は、1890年(明治23)2月、安里村(現大道・松川一帯)の畑 …

茶湯崎橋跡(チャナザチバシアト)

茶湯崎橋は、旧茶湯崎村(現那覇市松川)を流れる真嘉比川に架けられ、王国時代から昭和期にかけて首里・那覇を結ぶ重要な橋であった。  橋の創建年は不明だが、1674年に木橋から石橋に架け替えられている。  …

官松嶺記・官松嶺跡(カンショウレイアト)

「官松嶺記」は、琉球王国時代の1497年(弘治10)に建立された石碑である。  石碑が建立された丘は俗に「下ナチジナームイ」と呼ばれ、万歳嶺(俗称「上ナチジナームイ」、現観音堂)の西方に続く均整のとれ …

大道松原跡(ウフドーマツバラアト)

大道松原は、琉球王国時代、現在の首里観音堂付近から大道地域にかけて続いていた見事な松並木の呼称で、旅立ちの謡として知られる「上り口説」にも登場する景勝の地であった。  大道地域には「大道毛」と呼ばれる …

城嶽(グスクダケ)

那覇市楚辺にある小丘陵。 「城岳」とも表記する。楚辺台地から北西に延びる丘陵の一部で、南側を除き、急斜面となっている。標高は約32m。 かつて、この一帯は、真和志間切古波蔵村の管内で、城嶽には、古波蔵 …

曝書山房跡(バクショサンボウアト)

沖縄学の父とされる伊波普猷の別荘跡。  城岳の西の麓にあり、かつては、濃い樹影に囲まれた静閑な別天地であった。 城岳を背にし、地域のウブガー(産井)を含む2,500坪の伊波家の畑地は、幼少の頃、昆虫や …

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