「 名勝 」 一覧
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識名馬場跡(シキナババアト)
馬の調教所跡。 俗に識名マージという。 馬場の設置年代について不明。識名馬場は約300mにも及ぶ直線道路で、周囲は松並木であったという。王府の「年中礼式」には、正月下旬に那覇の潟原と識名馬場において …
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西の海跡(ニーシヌウミアト)
西村(現那覇市西)の西の海のこと。 童謡「アカナー」にも歌われており、那覇の人々に親しまれた海辺であった。 かつて、那覇港先の三重城から、潮の崎(現那覇市辻三文珠公園一帯)にかけては、U字形に湾入し …
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アカチラ
旧若狭町村の北東部の海岸砂汀地の名称。 「アカツラ」・「明津浦」とも記される。名称は海岸付近の地名「アカチラバル」に由来する。 かつて若狭町(現那覇市若狭)北東部の海岸は、東の「那覇潟原」(塩田:現 …
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美栄橋駅周辺の史跡・旧跡(ミエバシエキシュウヘンのシセキ・キュウセキ)
美栄橋駅周辺の歴史は、琉球王国時代の「長虹堤」の築造に始まる。 長虹堤は、1451年に築造させた祟元寺橋からイベガマ(「久茂地のチンマーサー」)に至る約1kmに及ぶ浮道(海中道路)で、美栄橋はこの道 …
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金城橋と識名平(カナグスクバシとシチナンダ)
金城橋は、琉球王国時代、首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋である。 橋の創建年は不明。1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文」建立)が、1809年の洪水により損壊。翌年元 …
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ガジャンビラ
那覇垣花から小禄安次嶺にいたる坂道の名称。 付近―帯を指す地名にもなっている。 琉球王国時代、中国からの使節「冊封使」は、この地を指して「儀間山」・「筆架山」と記しているが、1877年刊行の『沖縄志 …
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雪の崎跡(ユーチヌサチアト)
那覇市の北西部にあった岬の名称。 中国からの冊封使節の記録には「雪崎山」と見える(李鼎元「使琉球記」)。 「雪の崎」は、若狭町の中央北側に広がっていた「上の毛」と呼ばれる高さ20m程の岩礁台地の突端 …
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内兼久山跡(ウチガネクヤマアト)
この地にあった小丘跡。 寄上森ともいう。 内兼久山は、松尾山(現松山公園一帯)から南西に続く丘陵の一部で、久米村の風水に係る丘であった。名称の由来は、砂地を表す「カニク」に通じ、「内浜の山」といわれ …
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赤畑(アカバタキー)
かつて漫湖(まんこ)に突き出ていた小丘の名称。 この付近は赤畑原といい、真和志村字壺川(現那覇市壺川)の小字地名であった。 丘の上には松が生えており、奥武山・ガーナー森とともに漫湖の景観に趣を与えて …
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旧一日橋跡(キュウイチニチバシアト)
国場川に架けられた橋跡。 琉球王国時代は、この一帯の川は板敷川と呼ばれていたため、橋も板敷橋と呼ばれた。 橋は、南風原間切(現南風原町)や東風平間切(現八重瀬町)と首里を結ぶ重要な橋で、古くから木橋 …