「 歴史 」 一覧

綾門大道周辺の旧跡(アイジョーウフミチシュウヘンノキュウセキ)

琉球王国時代、海の玄関口那覇港から泊の崇元寺を経て首里城に至る道は、王国随一の公道であった。  ことに「下の綾門」と呼ばれた中山門と、「上の綾門」と呼ばれた守礼門の間を中心とした幅広い道を綾門大道とい …

御客屋跡(ウチャクヤアト)

薩摩藩の在番奉行などが首里城に登城する際の控所  創建年代は不詳。敷地は451坪余あったという。在番奉行一行等は、ここで城からの案内を待って登城した。 1879年の廃藩置県後は首里警察署が置かれた。1 …

大美御殿跡(ウフミウドゥンアト)

もとは尚清王が世子時代の別邸。  1547年に増築し、首里城内の女性の休養・産所、また冠婚葬祭などの礼式を行う場所となった。 1853年5月に来琉したアメリカのペリー提督一行が6月に首里城を訪問した際 …

旧中城御殿跡(キュウナカグスクウドゥンアト)

琉球国王世子の旧殿宅跡。  尚豊王代(1621~40年)に創建され、二百数十年、世子殿の役割を担った。1875年に世子殿が龍潭の北側(現県立博物館敷地)に移転すると、跡地は「下の薬園」となった。187 …

真壁殿内跡(マカンドゥンチアト)

琉球王国時代の高級女神官の一人「真壁大阿母志良礼」の神殿及び住居跡。  尚真王代(1477~1526年)に、神女組織が整備され、最高女神官「聞得大君加那志」の下に真壁・首里・儀保の「大阿母志良礼」と呼 …

中山門跡(チュウザンモンアト)

中山門は、王都首里の第一の坊門で、綾門大道の西端に建っていた。  別名「下の綾門」、「下の鳥居」。 1428年創建とされ、当初は建国門と呼ばれていた。中国の牌楼式の門で、1681年に板葺から瓦葺に改め …

薩摩藩在番奉行所跡(サツマハンザイバンブギョウショ)

薩摩藩役人の琉球における役所跡。  在番仮屋、大仮屋ともいう。 1609年の島津侵攻の後、薩摩藩が出先機関として1628年に設置した。以来1872年までの250年間、琉球支配の拠点となっていた。在番奉 …

親見世跡(オヤミセアト)

琉球王国時代の那覇の役所跡。  15世紀半ばの朝鮮国の書物『海東諸国紀』の中に「琉球国図」が記されており、その中の「国庫」は親見世を指すとされ、創設はそれ以前と考えられている。 もとは、首里王府が海外 …

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