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辻村跡(チージムラアト)

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那覇の北西部にあった花街跡。

 辻村、または単に辻といい、女性が主体となって生活した場所であった。辻の女性は「ジュリ」と呼ばれ、「侏イ离」・「尾類」の字が当てられた。
 琉球王国におけるジュリの起源については不明だが、15世紀以降、唐(中国)や南蛮(東南アジア諸国)、大和(日本)と交易を行った時代、中国からの冊封使一行や大和からの商人等をもてなした「ジュリ」が居たといわれる。『球陽』には、1672年に「辻」・「仲島」に村を創建し、そこに多くのジュリが住むようになったとあり、この頃、各地に居たジュリを「辻」・「仲島」に集めた記事だと思われる。また、那覇港に隣接する渡地村にも花街が創られ(創建年不明)、「辻」・「仲島」・「渡地」の3 ヵ所が琉球の花街として明治期まで存続した。
 1879年(明治12)に沖縄県が設置されると、ジュリは18歳で登録証(鑑札)が交付された。1908年(明治41)に「仲島」・「渡地」の花街は廃され、「辻」に統合された。これにより「辻」は、政財界の要人、官公庁・教育界の指導者をはじめ、地元の商人などが出入りし、接待や宴会が行われた。また旅客が宿泊する場所ともなった。ジュリは、これらの客をもてなし、安らぎを与えるために、料理や唄・三線・琴・踊りなどの芸事にも磨きをかけた。「辻」は、沖縄県下最大の社交場、「華やかな」場所として知られた。
 一方、辻の女性は、「アンマー」(ジュリの抱え親・貸座敷の女将)を筆頭に、「ジュリ」、「ナシングヮ」(アンマーが産んだ子供)、「チカネーングヮ」(貧困のため幼い頃に「辻」に売られた子:「コーイングヮ」ともいう)などで擬制的家族を作り、「辻」の親・姉妹はもとより、故郷の親・兄弟をはじめ、人間社会における義理・人情・報恩を第一の教えとして生活した。また、神への祈りと祭りを取り仕切る「盛前」と呼ばれる神職を中心とした女性による、女性のための自治組織を整え、二十日正月の「ジュリ馬」行事を始め、言葉・立ち居振る舞いから、衣裳・髪型・料理・芸能に至るまで独自の文化を創り上げた。
 1609年の薩摩藩島津氏の琉球侵攻を経て、1672年に誕生した華やかな「辻」も1944年(昭和19)10月10日の空襲により消滅し、その幕を閉じた。

以上、現地の説明版より

所在地:那覇市辻2-10地内

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※当社は宮古島に所在していますが、沖縄本島でも活動している方をご紹介可能です。

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