「 旧首里 」 一覧
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大角座(ウフカクジャー)
この地の交差点の通称名称。 道が大きくカーブしている形状を、大きく張った顎(方音でカクジ)にみたて、「大きな顎」と名付けられたというが、詳細は不明。「大角座」はその当て字。 王国時代、大角座は、首里 …
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行脚村跡(アンニャムラアト)
ニンブチャー(念仏者)、チョンダラー(京太郎)と呼ばれた人々の居住地跡。 安仁屋村とも書く。 居住の由来は明らかではないが、18世紀初頭に作製された「首里古地図」には、首里城の北東、久場川村(現首里 …
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平等所跡(ヒラジョアト)
琉球王国時代の裁判所跡。 警察・拘置所の機能も有した。設置年は不明。敷地は88坪あったといい法廷兼事務所、拘置所等が置かれた。「平等之側」(平等所長官)、「平等方吟味役」(次官)の下に「平等所大屋子 …
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太平橋(タイヘイキョウ)
首里と浦添を結ぶ街道に架けられた石造のアーチ橋。 別に平良橋ともいう。 琉球王国時代の1597年に、時の国王尚寧は首里から浦添城に至る道の整備を行い、板橋であった太平橋を石橋に改めた。 太平橋付近は …
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平良真地跡(テーラマージアト)
馬の調教及び競馬場跡。 琉球・沖縄における競馬は、「馬勝負」・「馬揃い」といい、前後の足を同時に、左右交互に繰り出すのを特徴とした(「側対歩」)。また、馬具の華やかさ、乗り手の凛々しさなどが勝負の対 …
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高平山(タカデーラヤマ)
琉球王国時代に創作された組踊「万歳敵討」舞台。 登場人物「高平良御鎖」の屋敷があった場所と設定される。 物語は、傲慢な高平良御鎖はある日、「大謝名比屋」が持っていた名馬を見て望んだが、断られたため、 …
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美術村跡(ビジュツムラアト)
沖縄戦の後、画家達が多く居住した地区跡。 首里儀保町のニシムイに造られたため、「ニシムイ美術村」、単に「美術村」ともいう。 「ニシムイ」は、首里赤平町の「虎頭山」から続く丘陵の一部で、特に儀保大道( …
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羽地朝秀生家跡(ハネジチョウシュウセイカアト)
琉球王国時代の政治家羽地朝秀の生家跡。 羽地家は第二尚氏王統第三代尚真王の第一子尚維衡浦添王子朝満を始祖とする小禄御殿家の分家で、羽地間切(現名護市羽地)を領有した名家である。 羽地朝秀は羽地按司家 …
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松崎馬場跡(マツザキババアト)
首里城から浦添方面に至る街道の一部及び広場の名称。 龍潭に突き出した一帯は松が植えられ、そこから松崎と名付けられた。1801年この地(現沖縄県立芸術大学敷地)に「国学」(琉球王国の最高学府)が置かれ …
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首里市跡(シュリマチアト)
琉球王国時代から明治期にかけての首里の市場跡。 別に大市という。この一帯は首里地域最大の市場で、地名も市場の側のため「町端」という。肉・魚・野菜などの生鮮品や古着、壷などの日常品のほか、近郊地域から …