「 旧那覇 」 一覧
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那覇駅跡(ナハエキアト)
沖縄における軽便鉄道各路線の起点となった那覇駅跡。 日本の鉄道は、近代化への象徴として、明治新政府により推進され、1872年に初めて新橋~横浜間が開通した。沖縄県でも、本土から来た寄留商人を中心に、 …
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沖縄県立沖縄病院跡(オキナワケンリツオキナワビョウインアト)
「県病院」・「県立病院」と呼ばれ、当時、県内唯一の総合病院であった「沖縄県立沖縄病院」の跡地。 1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)に先立ち、西村(現那覇市西)に置かれていた旧薩摩藩在番奉 …
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若狭町村学校所跡(ワカサマチムラガッコウジョアト)
琉球王国時代の若狭町村の学校所および役所跡。 創建年は不明だが、1830 ~40年頃と推定される。 村学校所は、士族子弟の初~中級の教育機関で、首里・那覇の各村ごとに建てられた。総数は首里14、那覇 …
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西の海跡(ニーシヌウミアト)
西村(現那覇市西)の西の海のこと。 童謡「アカナー」にも歌われており、那覇の人々に親しまれた海辺であった。 かつて、那覇港先の三重城から、潮の崎(現那覇市辻三文珠公園一帯)にかけては、U字形に湾入し …
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島尻郡役所跡(シマジリグンヤクショアト)
1896年(明治29)に設置された島尻郡の行政を管轄した役所跡。 1879年(明治12)の沖縄県設置の翌年、島尻地方15間切の行政事務を監督・指導するため、東風平間切番所内に島尻役所が置かれた。 島 …
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アカチラ
旧若狭町村の北東部の海岸砂汀地の名称。 「アカツラ」・「明津浦」とも記される。名称は海岸付近の地名「アカチラバル」に由来する。 かつて若狭町(現那覇市若狭)北東部の海岸は、東の「那覇潟原」(塩田:現 …
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美栄橋駅周辺の史跡・旧跡(ミエバシエキシュウヘンのシセキ・キュウセキ)
美栄橋駅周辺の歴史は、琉球王国時代の「長虹堤」の築造に始まる。 長虹堤は、1451年に築造させた祟元寺橋からイベガマ(「久茂地のチンマーサー」)に至る約1kmに及ぶ浮道(海中道路)で、美栄橋はこの道 …
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那覇大阿母屋敷跡(ナハオオアムヤシキアト)
琉球王国の女神官の一人「那覇大阿母」の屋敷跡。 広さは215坪。那覇大阿母は「浜の大阿母」ともいい、高級神女「真壁大阿母志良礼」に属す。 嘉清年間(1522 ~ 1566年)、錢氏与那城親雲上直方の …
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那覇市跡(ナーファヌマチアト)
この地にあった公設民営の市場跡。 「東市場」、また、沖縄県下最大の市場であったため「大市」とも呼ばれた。 市場の創設については不明だが、15世紀以降、唐(中国)や南蛮(東南アジア諸国)、大和(日本) …
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東恩納寛惇生家跡(ヒガオンナカンジュンセイカアト)
沖縄研究者東恩納寛惇の生家跡。 東恩納寛惇は1881年、当時の那覇東村に生まれた。東恩納家は那覇士族の愼氏である。 東恩納は、沖縄尋常中学校を経て、熊本の第五高等学校(現在の熊本大学)、ついで東京帝 …