「 那覇市 」 一覧
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旧一日橋跡(キュウイチニチバシアト)
国場川に架けられた橋跡。 琉球王国時代は、この一帯の川は板敷川と呼ばれていたため、橋も板敷橋と呼ばれた。 橋は、南風原間切(現南風原町)や東風平間切(現八重瀬町)と首里を結ぶ重要な橋で、古くから木橋 …
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識名園周辺の史跡・旧跡
識名園の位置する那覇市真地地区は、首里台地に対峙する識名台地の東寄りに位置し、かつては真和志切識名村の一部であった。 識名村の村域は、琉球王国時代、識名台地のほぼ全域を占めていたが、1700年代以降 …
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真和志間切番所跡(マワシマギリバンジョアト)
琉球王国時代から1907年(明治40)にかけての行政単位である真和志間切の行政を管轄した番所(役所)跡。 南風原・西原間切とともに首里王府の直轄領であった真和志間切は、当初那覇なども含む広大な間切で …
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山之口貘詩碑
1975年7月、貘の十三回忌に合わせ、山之口貘詩碑建立期成会(代表宮里栄輝)により建てられた詩碑。 碑文には、1935年に発表された「座蒲団」が刻まれている。 山之口貘は、本名を山口重三郎といい、父 …
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沖縄県立農事試験場跡(オキナワケンリツノウジシケンジョウアト)
沖縄県の気候に適した作物の栽培・試験・研究等を行った農事施設跡。 農事試験場は、1881年(明治14)5月に、真和志間切古波蔵村内(現那覇市泉崎、沖縄県庁付近)の約7,900坪余の敷地に設置された。 …
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真嘉比村(マカビムラ)
琉球王国時代、現在の真嘉比・古島地域は、真和志間切真嘉比村と呼ばれ、小字真嘉比原バル(現真嘉比自治会館周辺一帯)に集落が形成されていました。 1879年の琉球処分(沖縄県設置)の後、真和志間切真嘉比 …
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ナナユヒービラ
安謝から天久に至る坂の名称。 名前は、近接する「七与平利田」と称する田んぼに由来する。 かつて、広い田畑を有する者が天久村に居り、身売りした7人の主人として、彼らにその田畑を耕作させていた。ある時、 …
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オランダ屋敷跡(ウランダーヤシキアト)
日本メソジスト教会の外国人宣教師の屋敷跡。 かつて沖縄では欧米人のことを「ウランダー」(オランダ人)と呼んだことから、その名が付いた。 沖縄におけるメソジスト教会の本格的な布教は、1892年(明治2 …
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安里橋跡(アサトバシアト)
安里川に架けられた橋跡。 崇元寺が近くにあるため、崇元寺橋ともいう。当初の架橋年は不明だが、安里の対岸に浮かぶ「浮島」だった那覇と安里(崇元寺前)を結ぶ「長虹堤」の起点となっていることから、1451 …
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壺屋区役所跡(ツボヤクヤクショアト)
沖縄戦の後、最初に設置された那覇市の行政庁舎跡。 沖縄戦以前、上之蔵(現那覇市東町)にあった那覇市役所は、1944年(昭和19)の10・10空襲によって焼失した。 1945年(昭和20)11月10日 …