「 歴史 」 一覧

安里村射的場跡(アサトムラシャテキジョウアト)

陸軍熊本鎮台沖縄分遣隊の射撃訓練場跡。  1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)を行うにあたり、沖縄に派遣された熊本鎮台沖縄分遣隊は、1890年(明治23)2月、安里村(現大道・松川一帯)の畑 …

武徳殿跡(ブトクデンアト)

大日本武徳会沖縄支部によって建てられた武道場跡。  大日本武徳会は、武道を奨励し、武徳の涵養を目的に、1895年(明治28)4月、京都で設立された。各府県に支部を置き、警察組織を通じて、武道の普及と振 …

首里市跡(シュリマチアト)

琉球王国時代から明治期にかけての首里の市場跡。  別に大市という。この一帯は首里地域最大の市場で、地名も市場の側のため「町端」という。肉・魚・野菜などの生鮮品や古着、壷などの日常品のほか、近郊地域から …

金城村学校所跡(カナグスクムラガッコウジョアト)

琉球王国時代の首里金城村の学校所及び役所跡。  村学校所は士族子弟の教育機関で、首里・那覇などの各村に建てられた。士族の子弟は7 ~ 8歳で入学し、元服する14~15歳まで、「三字経」の読み書きから、 …

紙漉所跡(カミスキジョアト)

琉球王国時代から昭和初期にかけての紙漉所跡。  宝口の紙漉所ともいう。 琉球における紙漉の技術は、大見武憑武が1686年に鹿児島へ赴き、造紙法を修行。帰国後の1695年に首里金城村に宅地を賜り、杉原紙 …

聞得大君御殿跡(チフィジンウドゥンアト)

琉球王国時代の最高女神官「聞得大君加那志」の神殿及び住居跡。  尚真王代(1477~1526年)、琉球王国の神女組織が整備され、最高位の聞得大君は国王を守護する「姉妹神」(オナリ神)として、国王の長寿 …

貝摺奉行所跡(カイズリブギョウショアト)

王家御用、献上・贈答用などの漆器製作にかかる事務及び職人を指導・監督する首里王府の役所跡。  相国寺跡(所在地不明)から1745年にこの地に移設された。 琉球王国では、15~16世紀に馬・硫黄のほか献 …

首里市庁跡(シュリシチョウアト)

旧首里市の行政を担った役所跡。  琉球王国時代、王都として栄えた首里は、真和志平等、南風平等、西平等の「首里三平等」と呼ばれる3つの行政区域の総称で、それぞれの平等に役所が置かれていた。 1879年( …

高所跡(タカジョアト)

琉球国内の新開田畑の石高や貢船の貨物などに関する事務を扱う首里王府の役所跡。  1669年創設。 高所は、「算用座」(王府の役所、1732年「勘定座」に改称)の事務の一部を引き継ぎ、国内の田畑から上が …

天界寺跡(テンカイジアト)

琉球王国時代の臨済宗の寺院跡。  天界寺は、第一尚氏第六代国王尚泰久が、景泰年間(1450~56年)に創建したとされる。山号は妙高山、開山は渓隠安せん禅師。 創建当初の伽藍は、寝室・方丈・東房・西房な …

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