「 旧首里 」 一覧

宜湾朝保生家跡(ギワンチョウホセイカアト)

琉球処分直前の三司官で、和歌人としても著名な宜湾朝保の生家跡。  宜湾は、1823年に首里で生まれた。生家の宜湾家は向氏小禄御殿の分家で、宜野湾間切の総地頭家でもあり、三司官を二人も出した名家である。 …

天王寺跡(テンノウジアト)

琉球王国時代の臨済宗の寺院跡。  第二尚氏王統の始祖尚円が成化年間(1465~1487)に創建したといわれ、尚円が王位に就く前の邸宅で、第三代国王尚真の生誕地とされる。後に国王は円覚寺、王妃は天王寺、 …

蓮小堀・蓮華院跡(リングムイ・レンゲインアト)

蓮小堀は、首里城の北東に位置する人工の池。 尚巴志王代(1422 ~ 1439年)首里城整備のために土を掘り出した跡が池になったといわれ、蓮に覆われていたことから名付けられた。池の広さは約2,000坪 …

首里殿内跡(シュンドゥンチアト)

琉球王国時代の高級女神官の一人「首里大阿母志良礼」の神殿及び住居跡。  尚真王代(1477~1526年)に琉球王国の神女組織が整備され、最高女神官「聞得大君」の下に首里・真壁・儀保の3人の「大阿母志良 …

貝摺奉行所跡(カイズリブギョウショアト)

王家御用、献上・贈答用などの漆器製作にかかる事務及び職人を指導・監督する首里王府の役所跡。  相国寺跡(所在地不明)から1745年にこの地に移設された。 琉球王国では、15~16世紀に馬・硫黄のほか献 …

首里市庁跡(シュリシチョウアト)

旧首里市の行政を担った役所跡。  琉球王国時代、王都として栄えた首里は、真和志平等、南風平等、西平等の「首里三平等」と呼ばれる3つの行政区域の総称で、それぞれの平等に役所が置かれていた。 1879年( …

高所跡(タカジョアト)

琉球国内の新開田畑の石高や貢船の貨物などに関する事務を扱う首里王府の役所跡。  1669年創設。 高所は、「算用座」(王府の役所、1732年「勘定座」に改称)の事務の一部を引き継ぎ、国内の田畑から上が …

天界寺跡(テンカイジアト)

琉球王国時代の臨済宗の寺院跡。  天界寺は、第一尚氏第六代国王尚泰久が、景泰年間(1450~56年)に創建したとされる。山号は妙高山、開山は渓隠安せん禅師。 創建当初の伽藍は、寝室・方丈・東房・西房な …

綾門大道周辺の旧跡(アイジョーウフミチシュウヘンノキュウセキ)

琉球王国時代、海の玄関口那覇港から泊の崇元寺を経て首里城に至る道は、王国随一の公道であった。  ことに「下の綾門」と呼ばれた中山門と、「上の綾門」と呼ばれた守礼門の間を中心とした幅広い道を綾門大道とい …

御客屋跡(ウチャクヤアト)

薩摩藩の在番奉行などが首里城に登城する際の控所  創建年代は不詳。敷地は451坪余あったという。在番奉行一行等は、ここで城からの案内を待って登城した。 1879年の廃藩置県後は首里警察署が置かれた。1 …

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