「 旧首里 」 一覧

佐藤惣之助詩碑(サトウソウノスケシヒ)

川崎市出身の詩人・作曲家、佐藤惣之助の詩碑。  惣之助は、1922年6月に沖縄・台湾を旅し、同年12月に『琉球諸島風物詩集』を上梓した。琉歌や琉球の言葉を取り入れた詩と紀行文が収めた詩集は、琉球の風物 …

金城村学校所跡(カナグスクムラガッコウジョアト)

琉球王国時代の首里金城村の学校所及び役所跡。  村学校所は士族子弟の教育機関で、首里・那覇などの各村に建てられた。士族の子弟は7 ~ 8歳で入学し、元服する14~15歳まで、「三字経」の読み書きから、 …

宝口(タカラグチ)

那覇市首里儀保町4丁目一帯を指す地名。  地名の由来は不明だが、遺骨を宝物に例える説や、真嘉比川を遡って荷物(宝)を積み卸す津口と例える説がある。一帯には1682年に壼屋村(現那覇市壼屋)に統合された …

紙漉所跡(カミスキジョアト)

琉球王国時代から昭和初期にかけての紙漉所跡。  宝口の紙漉所ともいう。 琉球における紙漉の技術は、大見武憑武が1686年に鹿児島へ赴き、造紙法を修行。帰国後の1695年に首里金城村に宅地を賜り、杉原紙 …

与那原良矩生家跡(ヨナバルリョウクセイカアト)

琉球王国時代の三司官与那原良矩の生家跡。  与那原家は、馬良詮大浦添親方タ良憲を始祖とする馬氏小禄殿内の分家で、大里間切(現南城市大里)を領有する総地頭家。与那原良矩のほか、王国時代末期の三司官与那原 …

亀川盛武生家跡(カメガワセイブセイカアト)

琉球処分期の三司官で、処分反対の指導者であった亀川盛武の生家跡。  亀川家は、毛氏豊見城殿内の分家で、与那城間切の総地頭家である。 1871年に維新慶賀使が上京。尚泰を琉球藩王とする旨の命を受けて帰国 …

聞得大君御殿跡(チフィジンウドゥンアト)

琉球王国時代の最高女神官「聞得大君加那志」の神殿及び住居跡。  尚真王代(1477~1526年)、琉球王国の神女組織が整備され、最高位の聞得大君は国王を守護する「姉妹神」(オナリ神)として、国王の長寿 …

儀保殿内跡(ジーブドゥンチアト)

琉球王国時代の高級女神官の一人「儀保大阿母志良礼」の神殿及び住居跡。  尚真王代(1477 ~ 1526年)、琉球王国の神女組織が整備され、最高女神官「聞得大君」の下に首里・真壁・儀保の3人の「大阿母 …

虎瀬山(トゥラジヤマ)

首里城の北北東、首里赤平町の北沿いに延びる標高約130mの琉球石灰岩の丘陵。  頂上の岩石が虎の頭に見えたことから、虎頭山、虎山とも表記され、遠くに海を見渡せる景勝の地として知られる。 琉球王国時代、 …

蔡温旧宅跡(サイオンキュウタクアト)

琉球王国時代の政治家蔡温の住居跡。  蔡温は1682年久米村(現那覇市久米)で生まれ。沖縄名は具志頭親方文若といい、蔡温は唐名(中国名)、「澹園」と号した。蔡温の祖は、1392年琉球に渡ってきた久米三 …

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