「 旧那覇 」 一覧

壺屋区役所跡(ツボヤクヤクショアト)

沖縄戦の後、最初に設置された那覇市の行政庁舎跡。  沖縄戦以前、上之蔵(現那覇市東町)にあった那覇市役所は、1944年(昭和19)の10・10空襲によって焼失した。 1945年(昭和20)11月10日 …

てんぷら坂

壺屋から牧志に至る坂の通称。  この坂に天ぷら屋が建ち並び、その名が付いた。 かつてこの一帯は、「一松尾」・「二松尾」と呼ばれる丘陵で、丘には墓が点在し、前の坂道は「ガマヌ下」と呼ばれた。 1944年 …

辻原墓地跡(チージバルボチアト)

那覇の北西沿岸部の「辻原」にあった墓地群跡。  かつて、那覇の北の海岸は、「潮の崎」・「波上」・「雪の崎」と呼ばれる岬があり、岩礁台地が連なっていた。「潮の崎」後方の台地は、「辻原」・「辻山」などと呼 …

辻村跡(チージムラアト)

那覇の北西部にあった花街跡。  辻村、または単に辻といい、女性が主体となって生活した場所であった。辻の女性は「ジュリ」と呼ばれ、「侏イ离」・「尾類」の字が当てられた。 琉球王国におけるジュリの起源につ …

仲島小堀跡(ナカシマグムイアト)

この地にあった人工の溜め池跡。  かつてこの一帯は、久茂地川が漫湖に合流する河口で、土砂が堆積した中州は「仲島」と呼ばれ、その後の埋立により陸続きとなった地域である。 河口の水が湾入していた所は、17 …

程順則生家跡(テイジュンソクセイカアト)

琉球王国を代表する文人程順則の生家跡。  程順則は、1663年久米村(現那覇市久米)生まれ。程順則は中国名で、字は寵文。父は程泰祚といい、首里士家の虞氏外間筑登之實房の次男であったが、中国語の才能を買 …

伊波普猷生家跡地(イハフユウセイカアトチ)

沖縄学の父として知られる伊波普猷の生家跡地。  伊波は、琉球処分を目前にした1876年に、那覇の西村で生まれた。生家は那覇士族魚氏の家系で、素封家として知られていた。 沖縄県立第一中学校在学中の189 …

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