「 地名 」 一覧
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大角座(ウフカクジャー)
この地の交差点の通称名称。 道が大きくカーブしている形状を、大きく張った顎(方音でカクジ)にみたて、「大きな顎」と名付けられたというが、詳細は不明。「大角座」はその当て字。 王国時代、大角座は、首里 …
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太平橋(タイヘイキョウ)
首里と浦添を結ぶ街道に架けられた石造のアーチ橋。 別に平良橋ともいう。 琉球王国時代の1597年に、時の国王尚寧は首里から浦添城に至る道の整備を行い、板橋であった太平橋を石橋に改めた。 太平橋付近は …
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平良真地跡(テーラマージアト)
馬の調教及び競馬場跡。 琉球・沖縄における競馬は、「馬勝負」・「馬揃い」といい、前後の足を同時に、左右交互に繰り出すのを特徴とした(「側対歩」)。また、馬具の華やかさ、乗り手の凛々しさなどが勝負の対 …
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高平山(タカデーラヤマ)
琉球王国時代に創作された組踊「万歳敵討」舞台。 登場人物「高平良御鎖」の屋敷があった場所と設定される。 物語は、傲慢な高平良御鎖はある日、「大謝名比屋」が持っていた名馬を見て望んだが、断られたため、 …
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茶湯崎橋跡(チャナザチバシアト)
茶湯崎橋は、旧茶湯崎村(現那覇市松川)を流れる真嘉比川に架けられ、王国時代から昭和期にかけて首里・那覇を結ぶ重要な橋であった。 橋の創建年は不明だが、1674年に木橋から石橋に架け替えられている。 …
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官松嶺記・官松嶺跡(カンショウレイアト)
「官松嶺記」は、琉球王国時代の1497年(弘治10)に建立された石碑である。 石碑が建立された丘は俗に「下ナチジナームイ」と呼ばれ、万歳嶺(俗称「上ナチジナームイ」、現観音堂)の西方に続く均整のとれ …
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大道松原跡(ウフドーマツバラアト)
大道松原は、琉球王国時代、現在の首里観音堂付近から大道地域にかけて続いていた見事な松並木の呼称で、旅立ちの謡として知られる「上り口説」にも登場する景勝の地であった。 大道地域には「大道毛」と呼ばれる …
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仲島小堀跡(ナカシマグムイアト)
この地にあった人工の溜め池跡。 かつてこの一帯は、久茂地川が漫湖に合流する河口で、土砂が堆積した中州は「仲島」と呼ばれ、その後の埋立により陸続きとなった地域である。 河口の水が湾入していた所は、17 …
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松崎馬場跡(マツザキババアト)
首里城から浦添方面に至る街道の一部及び広場の名称。 龍潭に突き出した一帯は松が植えられ、そこから松崎と名付けられた。1801年この地(現沖縄県立芸術大学敷地)に「国学」(琉球王国の最高学府)が置かれ …
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宝口(タカラグチ)
那覇市首里儀保町4丁目一帯を指す地名。 地名の由来は不明だが、遺骨を宝物に例える説や、真嘉比川を遡って荷物(宝)を積み卸す津口と例える説がある。一帯には1682年に壼屋村(現那覇市壼屋)に統合された …