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那覇市跡(ナーファヌマチアト)

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この地にあった公設民営の市場跡。

 「東市場」、また、沖縄県下最大の市場であったため「大市」とも呼ばれた。
 市場の創設については不明だが、15世紀以降、唐(中国)や南蛮(東南アジア諸国)、大和(日本)と交易を行っていた時代、「市は江辺にあり。南蛮・日本国・中原(中国)の商船来り互市す」〔『李朝実録』世祖八年条(1463年)〕とあり、港町那覇の市場のことが記されている。
 中国の冊封使の記録には、「午後になると、大勢の婦人が頭に物を載せて集まって来て、地面に筵を敷いて列んで座って商売する。その商品は、油・野菜などで、豆腐と芋が最も多い。」(汪楫「使琉球雑録」1683年)とあり、冊封使一行の宿泊所である「天使館」前の空地一帯で、野菜・芋・雑貨などの市が開かれていたことが分かる。1782年、東村(現那覇市東町)の海岸沿いに新たに道路が造られ、「東下い」と称し、そこに魚市場ができたという。
 1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)後は、東村・西村(現那覇市西)には、他府県からの移入品や米穀・金物・呉服などを専門に扱う本土からの寄留商人の店が軒を連ねたが、野菜などの日常品は、旧天使館(後の那覇市役所)前の市場で売買された。野菜市・布市、雑貨を販売する据笥市があり、売り手は大きな傘を広げ、その下に品物を並べて販売した。旧天使館の北側には、壺屋市・肉市があった。
 1913年(大正2)2月11日の東町の大火による焼跡整理後、那覇区(1921年に市に昇格)は、1918年(大正7)に魚市があった東下いに、新たに敷地を確保し、布市を除く各市場を移設し、小間ごとに使用料を徴収した。市場は、魚・肉・米・乾物等を販売する区域と、野菜・芋・雑貨を販売する区域に分かれていた。
 市場は、朝8時頃から準備と仕入れが行われ、一般の人々の買物は、午後4時頃が一番賑わったといい、夕方には、松明が焚かれ、午後8時頃に店仕舞いとなった。生鮮品以外は、売り台として使った箱に収め、市場近くの屋敷にお金を払って預けた。売れ残った生鮮品は、持ち帰り水炊きして、近所に安くで売られたという。また、肉市を除き、売り手も買い手もほとんどが女性で、男性が市場に出入りするのを嫌ったという。
 1944年(昭和19)10月10日の空襲や、その後の地上戦により市場は開かれなくなった。終戦後、市場があった東町や那覇の中心地は、米軍により立入禁止区域となっていた。1945年(昭和20)11月10日、那覇復興のための先発隊は、那覇の街外れにあたる壺屋に入り、日用雑器の生産を始めた。これ以降、壺屋・牧志一帯を中心に戦後那覇の復興が始まった。1947年(昭和22)、開南から牧志に至る坂道に、米軍の横流し物資を中心としたヤミ市が発生し、那覇市はこれを取り締るため、市役所庁舎があったガーブ川沿いに市場を開設した。戦後の那覇の公設市場の誕生であった。
 現在、肉・魚を中心とした牧志第一公設市場及び雑貨部、衣料部が置かれている。

以上、現地の説明版より

所在地:那覇市東町11地内

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