「個人観光ガイド」 一覧

てんぷら坂

壺屋から牧志に至る坂の通称。  この坂に天ぷら屋が建ち並び、その名が付いた。 かつてこの一帯は、「一松尾」・「二松尾」と呼ばれる丘陵で、丘には墓が点在し、前の坂道は「ガマヌ下」と呼ばれた。 1944年 …

開南(カイナン)

この地域一帯の通称地名。  地名の由来は付近に建てられた学校名による。 かつて、この一帯は真和志間切与儀村の村外れで、墓が点在する場所であった。 大正期、付近に沖縄県立第二中学校(現那覇高等学校)、沖 …

辻原墓地跡(チージバルボチアト)

那覇の北西沿岸部の「辻原」にあった墓地群跡。  かつて、那覇の北の海岸は、「潮の崎」・「波上」・「雪の崎」と呼ばれる岬があり、岩礁台地が連なっていた。「潮の崎」後方の台地は、「辻原」・「辻山」などと呼 …

辻村跡(チージムラアト)

那覇の北西部にあった花街跡。  辻村、または単に辻といい、女性が主体となって生活した場所であった。辻の女性は「ジュリ」と呼ばれ、「侏イ离」・「尾類」の字が当てられた。 琉球王国におけるジュリの起源につ …

大角座(ウフカクジャー)

この地の交差点の通称名称。  道が大きくカーブしている形状を、大きく張った顎(方音でカクジ)にみたて、「大きな顎」と名付けられたというが、詳細は不明。「大角座」はその当て字。 王国時代、大角座は、首里 …

行脚村跡(アンニャムラアト)

ニンブチャー(念仏者)、チョンダラー(京太郎)と呼ばれた人々の居住地跡。  安仁屋村とも書く。 居住の由来は明らかではないが、18世紀初頭に作製された「首里古地図」には、首里城の北東、久場川村(現首里 …

平等所跡(ヒラジョアト)

琉球王国時代の裁判所跡。  警察・拘置所の機能も有した。設置年は不明。敷地は88坪あったといい法廷兼事務所、拘置所等が置かれた。「平等之側」(平等所長官)、「平等方吟味役」(次官)の下に「平等所大屋子 …

太平橋(タイヘイキョウ)

首里と浦添を結ぶ街道に架けられた石造のアーチ橋。  別に平良橋ともいう。 琉球王国時代の1597年に、時の国王尚寧は首里から浦添城に至る道の整備を行い、板橋であった太平橋を石橋に改めた。 太平橋付近は …

平良真地跡(テーラマージアト)

馬の調教及び競馬場跡。  琉球・沖縄における競馬は、「馬勝負」・「馬揃い」といい、前後の足を同時に、左右交互に繰り出すのを特徴とした(「側対歩」)。また、馬具の華やかさ、乗り手の凛々しさなどが勝負の対 …

高平山(タカデーラヤマ)

琉球王国時代に創作された組踊「万歳敵討」舞台。  登場人物「高平良御鎖」の屋敷があった場所と設定される。 物語は、傲慢な高平良御鎖はある日、「大謝名比屋」が持っていた名馬を見て望んだが、断られたため、 …

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